今季限りで中日を退団となった中村紀洋二軍打撃コーチ(写真提供・中日ドラゴンズ)
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 中日・中村紀洋二軍打撃コーチの退団が決まった。

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 独自の打撃理論を持つ天才打者の指導でチームの打力強化に期待が集まったが、大きな結果を残すことなくユニホームを脱ぐことになった。

 2022年、立浪和義監督の誕生とともにコーチとして古巣に帰還したのが中村コーチだった。中日が長年にわたり悩まされる打力不足解消の切り札として、立浪監督自らが呼び寄せたことが話題となった。

「中村コーチはフルスイングが代名詞の長距離打者として知られる。しかし柔らかいリストを生かした柔軟な打撃も定評があり、逆方向への打撃は天才的だった。剛柔両方を使い分けられる打撃理論を若手選手へ伝授する役割を期待した」(中日関係者)

 中村コーチは1991年のドラフト4位で近鉄に入団し、日米通算23年間プレー。NPBでは近鉄の他、中日、楽天などに所属した。独特の打撃フォームからの豪快な打撃が持ち味で、近鉄時代には2度の打点王、本塁打王、最高出塁率のタイトルなどを獲得。守備力の高さにも定評があり三塁手としてゴールデングラブ賞を7度受賞している。

「選手としては超一流だった。しかし昭和の香りが残るタイプで自己主張が強くプライドが高いことでも知られた。結果を出すと少し天狗になることもあり、首脳陣との衝突も多く、複数のチームを渡り歩く原因にもなった」(元近鉄担当記者)

「人一倍の自信を持っており現役時代は首脳陣の助言に耳を傾けないこともあった。しかし真っ直ぐな男なので手を抜くようなことはなかった。打撃論を交わすのが好きで若手を指導する姿もよく見かけた。上手くハマれば良い指導者になれると思ったのですが……」(元楽天担当記者)

 2014年オフにDeNAから自由契約となり、現役続行を模索したが所属先が見つからずに実質的な現役引退。その後はアマチュア球界での指導を積極的に行う姿を見かけるようになり、2017年からは静岡・浜松開誠館高の非常勤コーチも務めた。「教えること」が好きでプロの世界でも良いコーチになれるという声もあった。

「立浪監督とあんなに早い段階で衝突するとは思わなかった。キャンプでは早出から居残りまで精力的に動いていたが、理論や方法論が合わなかったのではないか。2人とも天才打者だった故にぶつかってしまったのだろう」(中日OB)

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