1959年 名人戦第5局 升田幸三(名人) 対 大山康晴(王将・九段)/145手で升田名人(左)が投了。4勝1敗で挑戦者の大山前名人が返り咲き、名人・王将・九段の三冠を独占。この後大山時代が到来
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 将棋界では、過去にタイトル独占が何回か達成されてきたが、タイトルが八つになってからは今回が初めてだ。これまでの覇者の中から、升田幸三、大山康晴を紹介する。AERA 2023年10月23日号より。

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 将棋界におけるタイトル戦は、1935年(昭和10年)に実力名人制が始まったことに端を発する。

 名人の称号は江戸時代から続いている。ただ、長らく終身制、つまり一度就いたら亡くなるまでずっと名人だった。十三世名人の関根金次郎による英断で、名人を実力で決めるシステムができたのは画期的だった。

 実力制の第1期名人に就いたのは木村義雄。26年にわずか21歳で八段に昇段して、当時は抜きん出た実力の持ち主だった。

 戦前のタイトル戦は名人戦のみ。戦前の名人戦は1期2年で行われ、木村は5期連続10年にわたり名人を保持し続けた。全盛期の強さは大横綱・双葉山と並び称されたという。戦後、名人戦は1期1年制となり、木村は47年に塚田正夫八段に敗れたが49年に復位。52年に大山康晴に敗れて名人を失うまでトップの力を見せた。

三冠制覇の升田幸三

 50年代前半に将棋のタイトルは名人、九段(竜王の前身)、王将の三つとなった。大山康晴が名人と王将、塚田正夫が九段を保持する時期が続いたが、56年から升田幸三が次々とタイトルを獲得していく。

 升田は大山の兄弟子で高い実力を持った棋士ながら、病気がちで大山に先に名人を獲得されるなど、大勝負での結果に恵まれず「悲運の棋士」と呼ばれていた。心身が安定した升田は56年に王将と九段、そして、57年に名人を大山から獲得し、史上初の三冠王を成し遂げた。しかし、升田時代は長くは続かなかった。大山が素早く立ち直ると、升田から次々とタイトルを取り返していったからだ。

 59年には大山が升田からすべてのタイトルを取って三冠独占を果たした。無冠に陥落した升田は、このあと9回にわたって大山とタイトル戦を争ったが、タイトルを獲得できなかった。フルセットの接戦は4回あり、すべて大山が制している。60年度に王位戦、62年度には棋聖戦が新設されるが、それらのタイトルも大山が制して五冠王に輝いた。

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