<コツコツ勉強する、というよりは、自分の興味ある世界に一時期、どっぷりつかってみる。(20代で有名になった女性は)みんなこのプロセスを経ているんです。で、十分に充電して光っていれば、自然と誰かがポンと背中を押してジャンプさせてくれるわけで、これから、を目ざす人は、とりあえず自分の好きな世界にどっぷり浸りきること。ここから始めてみるといんじゃないかな>
このコメントは、当時「月刊カドカワ」の編集長だった見城徹のものです。「コツコツ勉強」しなくても「十分に充電して光っていれば(=『ありのままの自分』を充実させていれば)、自然と誰かがポンと背中を押してジャンプさせてくれる」――現代ではほとんど信じる人がいない「夢物語」ですが、バブルの頃には本気でそう思っている人たちがいました。
役にふさわしい資質がもともとあってこそ、素晴らしい演技ができる――この「斉藤由貴の持論」は、「『ありのままの自分』と役柄が一致するのが肝心」とも言いかえられます。彼女がこんな風に考えるようになった理由のいくぶんかは、「ありのまま自分」信仰の影響があるかもしれません。
斉藤由貴はインタビューで「感性」という単語を口にしています。これはバブル当時、「ありのままの自分」を語るときのキーワードでした。相手の「ありのままの自分」をほめる際には、「いい感性してるね」と声をかけます。周囲に「ありのままの自分」を認めさせたい場合には、「自分の感性に忠実でありたい」というのが殺し文句でした。
「虚像」を立ちあげ、「本当の自分」を隠そうとする小泉今日子は、バブル時代の「主流の考えかた」からすれば「異端」です。髪を短くしたり、元は「不良」だったことを公言したり――アイドル時代の小泉今日子は「自然体」が特徴でした。このころ、「自然体」と「ありのまま」が必ずしもイコールでないことに気づいていていた人はほぼいません。「自然体」が売りものの小泉今日子は、生き生きと「本当の自分」をアピールしていると思われていました。
次つぎと過激な企画に身を投じれば、新しい「小泉今日子の虚像」が絶えまなく立ちあがります。それが当人にとって快感だったから、歌やグラビアでの大胆な試みにも尻ごみしなかった――今では伝説になっている「バブル時代の小泉今日子」には、そういう側面もあったはずです。