かつて日本には3万もの城があったという。99%は鎌倉時代から戦国時代が終わるまでの300年ほどの間に築かれたもので「中世城郭」と呼ばれ、主流は山城。領主の財力や権力が十分ではなく、土木作業も最小限に抑えられた。標高300~400メートルほどの高地に作られ、規模もそこまで大きくはない。戦では、籠城の場となった。
【写真】日本三大水城にも数えられる海岸に面して建つ城はこちら
それが室町時代になると、力を持つ大名の配下が増え、山城は手狭になって廃れていった。「近世城郭」は小高い丘の上に立つ「平山城」や平地に築城する「平城」が中心となった。
発売されたばかりの『日本 旅大事典1500』は、Book in Book「心の赴くままに、テーマで巡る ニッポン!諸国漫遊旅」の中で、現在も残る城の数々を、四つの種類に分けて紹介している。『日本 旅大事典1500』を引用する形で、いまも残る城をみていこう。
【山城】城の99%は山城だった!
戦乱の時代に主流だった山城は、なんといっても守攻に優れるのが特徴。高い位置から見渡しやすく、山の斜面は防壁となる。
織田信長が名づけ、安土城を築くまで本城としていた岐阜城も山城。信長はここで、天下統一を目指した。現在は、山麓から山頂までが城跡となっている。
伊達政宗が作った仙台城も山城だ。政宗は城の象徴として懸造を高台に作り、仙台の繁栄を祈った。現在は高石垣と再建された脇櫓が往時をしのばせる。
【平山城】戦国武将が理想とした形
シンボルとして天守が築かれ、華やかな美しい建物で領主の権力を示す。山城と平城の構造のいいとこ取りをしたのが平山城だ。代表格はなんと言っても、世界遺産で国宝の姫路城。白鷺城とも称される白亜の名城は、400年以上前に築城されたが、いまも美しい姿を残す。
国宝で、山陰唯一の現存12天守として今も残る松江城は、豊臣秀吉の重臣が築城した平山城。落ち着いた黒いボディーが風格を漂わせる。織田信長の叔父にあたる織田信康が築いた国宝・犬山城も、断崖を利用した平山城で、目の前の敵に集中できる構造を持つ。