東京五輪サーフィンで初代銀メダリストとなった五十嵐カノア。来年のパリ五輪で頂点を目指す彼は、9月からハーバード大学院進学という驚くべき決断をした。そこにはカノア流の“サムライ魂”があった。AERA2023年10月9日号より。
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―2023年のシーズンを戦い抜き9月に一時帰国したカノア。パリ五輪の代表権(条件付き)も獲得し、リラックスした様子で2年前の五輪を振り返った。
五十嵐カノア(以下、五十嵐):「東京五輪は、僕にとって大きなチャンスでした。五輪というインパクトのあるイベントだからこそ、サーフィンを初めて見る人にもその凄さを見せることができる。カノアの名前を聞いたことがなかった人も、僕が日の丸を背負うことで応援してくれて、応援をパワーに変える、その秘密みたいなものを体験できました」
困難を乗り越えた両親
―五輪を機に一躍スターとなったカノアだが、サーフィンの世界では幼少期から注目を集めてきた。米国に移住した両親のもと3歳で波に乗り、18歳で世界最高峰のチャンピオンシップツアーに参戦。7大会連続出場の快進撃を続けている。
五十嵐:「子どもの時からメンタルは強かったですね。周りに頑張っている人が多かったから、みんなが僕のモチベーションでした。中でも両親は本当にチャレンジャー。英語も喋れないのに米国に渡って、どんな難しい状況でも乗り越えてきた。その血が繋がっているし、その生き方を見てきたので、どんなに不利な状況も怖くないと思えるんです」
―東京五輪でサーフィンが正式競技に採用され、日本代表に。その頃から“サムライ魂”を強く意識するようになった。
五十嵐:「アスリートというのは、自分の内面が大切です。もちろん相手がいるスポーツだけれど、自分だけに集中して、自分の準備をして、海を感じ取る。どうすれば勝てるかを自分に問いかける、その時に、僕の中に流れるサムライの考え方を感じるようになりました」