延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー(photo by K.KURIGAMI)
この記事の写真をすべて見る

 子供の頃、新聞の株式市況欄が謎だった。何ページにもわたり、小さな文字でびっしりと株価が掲載され、理髪店に行くと赤鉛筆を舐めながらお目当ての会社の株価にチェックを入れている大人がいたし、最寄りの中央線武蔵境駅からは西武多摩川線へ乗り換え、競艇場に通うおじさんたちがチビた赤鉛筆をやはり舐めながらスポーツ新聞にチェックを入れていた。どちらの様子も似ていた。

【写真】「アメリカの時計」のシーンはこちら

 株にはギャンブル性もあるのだろうが、それも含め、子供が足を踏み入れてはならない領域であることは直感できた。

 現在、日銀の金融緩和により株式の資産価値が上昇、恩恵にあずかる富裕層が増えてブランド品など高級商品の売れ行きが好調な一方、企業が内部留保を増やし、従業員のサラリーが上がらず、生活必需品の物価上昇が続く中、子育て世帯で生活に困窮する家庭が増えるなど、消費に関して日本は二極化の様相を呈している。

 そんな中、盟友の劇作家長塚圭史が演出を手がけた『アメリカの時計』を観た(KAAT神奈川芸術劇場)。追憶の形式を取りながら1929年から始まった世界恐慌を描いた原作はアーサー・ミラーのペンによる。

 お洒落をし、高価な家具に囲まれ、毎夜のパーティ三昧など裕福だった実業家一家が株価の暴落で資産を失い、マンハッタンの自宅からブルックリンに転がり込む。宝飾品を売り、お抱えの運転手を解雇し、大切にしていたピアノもなくなった。「金持ち喧嘩せず」の反対で、周囲は口論が絶えなくなり、破滅へ向かう。

「アメリカの時計」のシーン(撮影・宮川舞子)

 「これは100年近く前のアメリカとアメリカの家族の物語ですが、現代を生きる私たちがどこへ向かうのか、という問いに鋭い示唆を与えてくれる」と長塚は言う。そして、今回翻訳を担当した高田曜子は「ミラーが捉えた世界恐慌とそこに生きるあらゆる種類の個人の姿を通して、私たちが今いるこの世界のうねりと、そこにいる自分や家族が見えてくるのです」。

 演目タイトルは「アメリカの時計」だが、長塚の演出は冴え、気がつくと、時を刻む秒針の音が聞こえ、100年前と現在を不気味に結びつける仕掛けになっている。

次のページ
アメリカ現代史を彩った言葉の数々