大宮エリーさんと角野隼斗さん(撮影/写真映像部・高野楓菜)
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 作家・画家の大宮エリーさんの連載「東大ふたり同窓会」。東大卒を隠して生きてきたという大宮さんが、同窓生と語り合い、東大ってなんぼのもんかと考えます。今回は角野隼斗さんがニューヨークに引っ越した理由をお聞きしました。

*  *  *

大宮:バンドもしてるんですか。

角野:はい。「Penthouse(ペントハウス)」っていいます。

大宮:いつから始めたんですか。

角野:大学1年からバンドサークルに入って。1、2年のころは、サークルでセッションしてました。

大宮:そのサークル、私がいた頃からあったのかな。

角野:あります。「東大POMP(ポンプ)」です。

大宮:バンドは全員東大生?

角野:一人は青学で、ほか5人は東大です。

大宮:へえ。東大の授業って面白かったですか。

角野:面白かったけど、あんまり授業に出てなくて。1年のころは、ずっとピアノとかバンドとかしてたから。3年になって、ようやく真面目になってきたんですけど、3、4年になると授業というよりは研究室になるんで、あんまり授業は受けてた記憶がないんです(笑)。

大宮:バイトとかしてたんですか。

角野:プログラミングしてました。

大宮:すごいなー。

角野:時給がいいんですよ。3千円とか。

大宮:えっ、家庭教師とあんまり変わらないよね、そうしたら。

角野:でも家庭教師は、その場にいなきゃいけないじゃないですか。プログラミングはどこでもできるから。電車の中とかカフェでもできるし。

大宮:なるほどねえ。数学的なことは、もうやってない?

角野:やってないです。最初は両輪でいきたかったんですけど、ちょっと音楽に集中したいなと思って。

大宮:最近は、チャレンジしようと思っていることがあるんですか。

角野:4月にニューヨークに引っ越したんですよ。それは、自分の中では大きな転換でしたね。

大宮:確かに。なぜニューヨークにしたんですか?

角野:日本の外に住みたかったんです。クラシックだけじゃなくて、ニューヨークはいろんなものがあるから。それは刺激的だなと思ったし。

大宮:何年ぐらい住むイメージ?

角野:アーティストビザが3年取れたんで、3年は住むと思います。

大宮:へえ。どういうことをインプットしてます?

角野:僕はずっと、自分のことを少年だと思ってて。

大宮:あ、少年。いい言葉ですねえ。

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