『アリスとテレスのまぼろし工場』より。亀裂の入った冬空の向こうに、満天の星空が見える。それが現実の世界だ。(c)新見伏製鐵保存会  配給:ワーナー・ブラザース映画 MAPPA
『アリスとテレスのまぼろし工場』より。亀裂の入った冬空の向こうに、満天の星空が見える。それが現実の世界だ。(c)新見伏製鐵保存会  配給:ワーナー・ブラザース映画 MAPPA

 そしてその街はずっと冬のまま、季節は固定され、主人公たちも成長せず、街の人々も同じだ。たとえば、事故の時に身重だった女性は、出産することなく、身重のままだ。

 そして「変化」は悪いことだとされ、街の人々は、自分を忘れることのないよう自分確認票を書くことが義務づけられている。

 というのは、「変化」しようとして夢を持ったりすると、その人間に亀裂が走り、消えてしまうからだ。亀裂はその人間だけでなく街にも走る、そしてその亀裂の向こう側に見える景色で次第に観客は気づいていくのだ。亀裂のむこう側に見える街こそが現実の世界で、そこには時間も流れ、人々も成長していっていることを。

 そのまぼろしの街の製鉄所は、鉄をつくっているのではなく、その亀裂をふさぐ神機狼(しんきろう)という煙をつくっている。

 その製鉄所の第五高炉は、神聖なる場所とされ立ち入りが禁止されているが、そこには、少女が囲われている。その少女だけには時間が流れ、成長していくというパラドックス。

 そしてその少女はトンネルからやってきた。

 これまでルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』やC・S・ルイスの『ナルニア国物語』の時代から、むこう側の世界がまぼろしの世界だった。ところが、『アリスとテレスのまぼろし工場』では、主人公たちがいる世界がまぼろしで、むこう側が現実なのだ。

 それは不思議な映像で、亀裂がどんどんふさがれなくなってくると、こちら側が冬であるのに対して、同じ街の夏の光景が見えてくる。しんしんとふっていた静かな雪が、主人公とヒロインが初めて心を通わせる(これは変化だ)キスのシーンで、雨音も激しい夏の雨に変わっていく。

 暗い冬の街と、夏祭の花火もあでやかな現実の街、それが重なる幻想的な光景。

 岡田さんに、試写会のあと「向こう側が現実っていうのがすごい」とラインを送るとこんな答えがすぐに返ってきた。

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