長期戦になれば、どこからともなく遊女たちが現れた。豊臣秀吉は公共の娼婦宿を設置したという。イラスト/さとうただし

 また、戦場に来た物売りは酒だけではない。大坂の陣の際に上杉氏が発布した軍令には、将兵が煙草を吸うことを禁じた規定がある。

 さらに、飲酒といえば博打である。博打は喧嘩の原因にもなるので平時から禁止されることもあった。大坂の陣では、土佐の山内氏が博打を禁止した軍令を発布した。裏を返すと、合戦の合間に博打を楽しみにしていた将兵もいたのだ。

 戦場には、〝戦陣女郎〟なる女性がいたという。つまり、遊女のことである。彼女たちは戦いに明け暮れる将兵を慰めるため、戦場にわざわざ来ていたと伝わっている。大坂冬の陣のとき、豊臣方として博労ヶ渕砦を守備していた薄田兼相は遊女と遊んでいて、不覚にも砦を徳川軍に奪われたというエピソードが残されている。

 このほか、文禄の役の際、朝鮮の唐島城に在陣していた島津義弘が、蹴鞠を楽しんだと伝わる。また、羽柴(豊臣)秀吉は、三木城(兵庫県三木市)を兵糧攻めにした際、茶会を催して余裕を見せつけた。吉川元春は尼子氏の居城・月山富田城(島根県安来市)を攻囲したとき、『太平記』を書写したという。戦場での楽しみは人それぞれだったようである。

※週刊朝日ムック『歴史道Vol.29戦国時代の暮らしと作法』から

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