山上徹也被告による安倍元首相銃撃からターゲットが特定化されるようになってきたのではないでしょうか。つまり、山上被告による事件が解き放った暴力という要因があるように見えます。

 これまでも「無敵の人」と呼ばれるような人たちによる暴力の激発はありました。最も代表的なのは2008年6月に東京・秋葉原の歩行者天国で起こった無差別殺傷事件でしょう。ターゲットは文字通り無差別、たまたまそこに居合わせた一般の人たちでした。それに対して、権力者である安倍元首相、岸田首相、あるいは権威があると見なされた知識人の宮台さんと、権力や権威に対して暴力の方向性が向き始めたわけです。

 無差別的な暴力の激発は、殺人というより、拡大自殺ととらえた方が適切なのかもしれません。死刑になることを目的にやっているフシがある。これとは対照的に、山上被告以降の事件は、自らの死ではなく、特定の他者の死が明確に目標になっています。

 ただし、犯行の動機はそれぞれ違います。岸田首相に爆弾のようなものが投げられた事件は、ターゲットは現職の総理大臣ですから、まさに権力へ向けた暴力ということになります。けれども犯人がなぜそうしたのか、常人にはわからない論理で行動に走っているわけです。

 安倍元首相の暗殺事件は動機をたどれます。自分がこんなにひどい目に遭ってきたのは統一教会(世界平和統一家庭連合)のせいだ、と。また、山上被告がツイッターなどに書き込んだ内容を読むと、個人として統一教会を恨んでいただけでなく、より普遍的な見地から同教団の反社会性を絶対に許せないという思いが滲んでいます。だから総裁の韓鶴子を殺さなければならないけれども、それは無理だ。だったら日本で統一教会を守ってきた頭目をやろう、誰だ、安倍だと。そういうかたちで山上被告の場合は論理をたどれます。

 では、宮台さんを襲撃した犯人の中で、どういう動機形成がなされたのか。犯人が証拠隠滅、犯行動機の参考になるようなものを全部捨てたうえで自殺したので、よくわかりません。

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暴力の無軌道な激発が相次ぐ