歴史学者・黒田基樹氏は新著『徳川家康と今川氏真』(朝日新聞出版)で、徳川家康に最も影響を与えた人物であろう今川氏真と考える。加えて、天正七年に家康の三男徳川秀忠が誕生すると、その女性家老(「上臈」)にして後見役に、氏真の妹・貞春尼が任じられたという事実を記した。同著から一部抜粋、再編集し、晩年の氏真の動きと、貞春尼のエピソードを紹介する。
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氏真夫妻の駿府・江戸下向
氏真の京都での活動が確認されるのは、慶長十七年(一六一二)正月二十四日、冷泉為満邸での和歌会に参加したものになる。前年十二月に、嫡孫範英が徳川秀忠への出仕を遂げているから、その直後にあたる。そして氏真はその後、江戸に赴くことになる。範英の出仕が遂げられたことをうけて、京都を離れて、範英のもとで生活することを決したのであろう。
同年四月、氏真は駿府に赴いて、家康に対面している。「駿府記」同年四月十四日条には、「今川入道宗ぎん(ぎんは門がまえ「言」)〈俗名氏真〉京都より来府、則ち御前に出でて、御物語と云々」と記されている(『史籍雑纂第二』二三二頁)。氏真は駿府城に到着するとすぐに、家康のもとに出仕して、会談したことが知られる。氏真はこの時、もう七五歳になっていた。対して家康も、七一歳になっていた。そしてこれが、氏真の具体的な動向として確認される最後のものになっている。その後に、氏真は江戸に向かったとみなされる。