ひとはよく議論が必要だと言う。議論が必要なのは、異論に耳を傾け、必要とあらば立場を訂正するためである。前後でだれの意見も変わらないのであれば、議論しても意味がない。日本ではそのような「結論ありきの儀式化した論争」ばかりが行われている。
若者のあいだで「論破」なる言葉が流行しているという。討論を勝ち負けで捉え「謝ったら負け」とする発想は、議論の生産性を根本から蝕むものだ。
「誤る」と「謝る」は通じている。ひとはだれでも誤る。誤ったら謝って訂正して前に進めばいい。そのような相互信頼がなければ何も進まない。今の政府と批判勢力は互いへの信頼がまったくない。この空気そのものを変えねばならない。
日本社会は安心社会だが信頼社会ではない、と喝破したのは故山岸俊男氏だった。仲間内の正義に閉じこもれば確かに安心だが、それだけでは社会は閉塞する。日本社会が「訂正できること」の価値を再認識し、本当の議論が始まることを期待して新著を書いた。
◎東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数
※AERA 2023年9月11日号