一〇年近く抗争を繰り返し、三河統一後は、以前の主従関係が入れ替わった徳川家康と今川氏真。一般的に、家康は今川家に対して否定的だと考えられてきた。ところが新たに分かったのは、家康が氏真の妹・貞春尼を女性家老に任命していたという事実。二人の関係性について、これまでの認識を大きくあらためなければならない、と説くのは歴史学者・黒田基樹氏だ。黒田氏の著書『徳川家康と今川氏真』(朝日新聞出版)から一部抜粋、再編集し、紹介する。
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天正七年(一五七九)という年は、家康にとっても、また家康と氏真の関係においても、大きな画期となった年であるといえる。
家康にとっては、第一に、新たな嫡男となる徳川秀忠(幼名長丸、一五七九〜一六三二)が生まれたこと、第二に、北条家と同盟を成立させて、武田家に協同で対抗するようになったこと、第三に、正妻・築山殿と嫡男信康の謀叛事件を解決したことである。そして家康と氏真の関係においては、新たな嫡男となった秀忠の「上臈」、すなわち女性家老に氏真の妹の貞春尼がついたこと、北条家との同盟成立において、その取次を氏真家臣の朝比奈泰勝が務め、以後の北条家との同盟においても取次を務め続けたこと、である。