ただ、使用を止めたユーザーにその分の電力を確保し、損害を賠償しなければならない。社内に、反対の声が出た。でも、「もしこのままで2件目の火災が起きたら、事業は終わりだ」と説得し、社長の最終決定を得てユーザーに停止を要請する。原因究明は全社で取り組み、再現テストなどを繰り返したが、特定できない。いくつかの要因が重なって起きたと類推され、改善策に資金を投じ、使用再開までに1年余りをかけた。

 翌2012年3月期、日本ガイシはNAS電池の運転停止に伴う賠償や対応策で611億円の特別損失を計上し、創業以来初の最終赤字となる。一方で、自身は電力事業本部の本部長補佐へ昇格。役割を考えた柔軟な対応に、社長が感心して後継候補に描いた、との話が残った。『源流』から進んだ先は、トップの座へと向かう。

役割分担を学んだ神学校の敷地でのボーイスカウト

 1956年7月、東京都調布市に生まれる。両親と姉の4人家族で、父・信夫さんは中学校の国語の教諭、母・昭子さんは小学校の教諭で、姉も教諭になった。親戚にも教職者が多い教員ファミリーだが、小さいころから「自分は別の道へ進もう」と思っていた。先生になるのが嫌なのではなく、柔軟に考えた答えだ。

次のページ