四球を選び一塁に向かう清原勝児選手/撮影=写真部・東川哲也

 準々決勝の沖縄尚学戦では、2点を追う六回に先頭打者として登場。あえなくピッチャーゴロに倒れたが、その後、打線が爆発し一挙6得点と逆転に成功した。打者一巡で迎えた2打席目も凡退し、六回の攻撃が終わったものの、「代打で流れを呼び込んだ」などと評価された。

 こじつけに近い“活躍”ともとれるが、六回の攻撃を見届けたいけださんは、こう感じたという。

「確かに凡退に終わってはいるんですが、そもそも1イニングに2回もアウトになるなんて、滅多にないことです。清原に始まり、清原で終わった逆転劇。やっぱり何かを持っているんだなあって思いました」

親子での甲子園優勝という偉業

 1983、85年の夏の甲子園を制覇した父・和博さんに続いた勝児選手。親子での甲子園優勝は偉業である。

「『清原』って名前だけで球場全体がワーっとなって雰囲気が変わって……。83年の夏から始まった『清原』の伝説が、いま完成されたということですよ。親子でこれほど甲子園で応援される選手は今後出てこないんじゃないでしょうか。やっぱり、甲子園は『清原家』のためにあるのかー、なんて思ってしまいますよね」。いけださんの興奮は収まらない。

甲子園のスタンドで声援を送る清原和博さん

 勝児選手は1年留年したため、ファンには残念な話だが、甲子園は今夏が最後となる。

「100人以上いる慶応の野球部員の中で、ベンチメンバーに入るだけでもすごいこと。野球センスは間違いなくあります。できれば今後も野球を続けて欲しい。球場で『清原』とコールされて場内が湧く瞬間を、また味わいたいですね」

 いけださんはそう話し、勝児選手の今後に期待を寄せた。

(AERA dot.編集部・國府田英之)

笑顔の清原勝児選手/撮影=加藤夏子
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國府田英之

國府田英之

1976年生まれ。全国紙の記者を経て2010年からフリーランスに。週刊誌記者やポータルサイトのニュースデスクなどを転々とする。家族の介護で離職し、しばらく無職で過ごしたのち20年秋からAERAdot.記者に。テーマは「社会」。どんなできごとも社会です。

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