図らずも袴田さんに死刑判決を書くことになった本典道さんは、裁判官の使命をどう考えていたのだろうか。

 静岡地裁の合議で無罪を主張しながら、2対1と敗れた熊本さんは、判決文に「無罪心証」を残した。僕は、裁判の取材をする中で、ある元裁判官にその判決の異様さについてお話を伺ったことがある。熊本さんは、明らかに上級審で地裁の間違いが正されるよう意図して書いた、というのがその元裁判官の見立てだった。しかし、その意図は東京高裁にも、最高裁にも伝わらない。そして、およそ30年後、第2次再審請求審の裁判官にようやく伝わることとなる。静岡地裁の裁判長として再審開始決定を書いた村山浩昭さんは、2023年「再審法改正をめざす市民の会」の集会で「確定一審の判決は異様な判決。自白を職権排除しており、これは無罪判決のパターン。しかし判決は死刑だった」と話した。実のところ、この判決の異様さに、控訴審、最高裁、そして再審に関わった全ての裁判官が気付かぬはずはない。しかし、無罪を書けば、事件は未解決で真犯人は他にいるという宣言になり、治安に対する不安を招く。確定判決を覆して再審を認めれば、検察と裁判所を敵に回す。それは裁判官のキャリアにとって決して良いことではない。そういう現実が有罪率の高さや再審の門を閉ざすことの一因になっているのではなかろうか。

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