熊本さんは、控訴審の判決を待つことなく1969年に退官し、弁護士に転じた。僕はふと財田川事件を思った。死刑が確定した被告人が、1964年に自分は無実であるとする手紙を高松地裁に出した。それから5年後、高松地裁丸亀支部長の矢野伊吉裁判官は、その手紙を発見する。そして、正式な再審請求として審理を開始するのだが、再審開始には至らず、ついには裁判官を辞して弁護人となり、新たに再審請求をした。その行動は、最高裁に激しく批判されたが、1984年に再審無罪が確定する(矢野さんは再審公判の途中でお亡くなりになった)。
一方、弁護士に転じた熊本さんは、しばらくは荒んだ生活を送ったようだが、袴田事件の控訴審が退けられた1976年頃には、民事弁護で活躍し、仕事も家庭もうまくいっていたようだ。ところが、その後、度重なる病やアルコール障害で生活が破綻する。その熊本さんの姿を本書は丁寧に追いかけるべく、彼を知る人たちのもとを訪れる。