「別件の犯罪や被告の性癖から、準強姦という犯罪が客観的に存在したと認定するのは不可能だ」
密室で行われる性暴力事件で、「客観的証拠」を導きだすのは難しいと言われる。それでも加害者の部屋には天井に女性を吊すための金具が設置され、クロロホルムなどの薬品が常備されていた。さらに既に200人以上の意識を失った女性を虐待する映像を、本人が「記録」として所持していた。そのような客観的証拠があっても、「被告の性癖から、準強姦という犯罪が客観的に存在したと認定するのが“自然”だ」とできなかったのは、2000年代の性暴力問題への無理解を象徴している判決だとも言えるだろう。
とはいえ、2007年当時の私も、このニュースを聞いて胸がわさわさしたはずなのに、何らアクションを起こすことはなかった。きっと「おかしいよ」と思ったのだとは思うが、それでもこの判決に社会はほとんど無風だった。私自身、このドキュメンタリーがなければ、ルーシーさんのことを思い出すことはなかっただろう。そのくらいに、多くの性暴力事件は風化してきた。
そう考えれば、やはり世界的な#MeTooの影響は、どれほど大きく世界を変えたのだろうと改めて思う。性暴力というものがどのような暴力か。性加害者がどのような言い訳をし、どのように罪を犯すのか。事実を知ることで導きだされるものは大きく、そしてその事実は人の命を救うだろう。
今年、性犯罪に関する刑法が改正された。それでもまだ、私たちの社会は「性犯罪」について理解をしているとは言えない。それがどのような犯罪なのかを社会として知っていく努力を、諦めずにしていかねばいけない。風化させるべきではない痛みと共に、私たちは生きているのだ。