そんなことを考えたのも、Netflixドキュメンタリー『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』を観たからだ。20年以上前の事件だが、私はルーシーさんの事件で初めて「準強姦罪」という言葉を知ったことを思い出した。加害者の織原城二受刑者は、10年にわたって200人以上の外国人女性を薬で意識喪失させ暴行し、その記録を撮っていた。わかっているだけで200人以上ということだが、実際にどれほどの女性が被害にあったのかはわかっていない。外国人労働者という弱い立場で訴えられないことを見越した上での卑劣な犯罪だった。ルーシーさんがもし亡くならなければ、そしてルーシーさんの家族が来日し、メディアを巻き込み声をあげなければ被害者はさらに増えていただろう。
ドキュメンタリーは捜査員たちの証言を中心に進められていく。今回初めて知ったのだが、ルーシーさんの事件は、女性の警察官が初めて刑事課の性犯罪捜査を担当した事件でもあった。当時警部補だった丸山とき江さん、巡査部長だった山口光子さんが、抑えた調子で犯行への怒りを口にし、被害者たちへの同情に満ちた言葉で語る様子には胸が詰まる。警察に性犯罪被害の声を聞く電話が設けられ、女性捜査員たちがその電話を取る様子が描かれているが、ルーシー・ブラックマンさんの事件は、日本の性犯罪捜査の一つの転換点であったのだ。
それでも加害者は一貫して「女性たちとは合意があった」と主張し、「お金を払ったプレイだった」と言い切り無罪を主張し続けた。2010年に最高裁で出された決定では、ルーシーさん以外の9人の女性(1人が死亡)への準強姦罪、準強姦致死罪、ルーシーさんの死体損壊・遺棄罪で無期懲役が確定したが、ルーシーさんへの準強姦致死罪は認められなかった。その事実は2023年の今、あまりにも理不尽に響く。特に、2007年一審の東京地裁栃木力裁判長の無罪判決には言葉を失う思いになる。裁判長はこう述べている。