京セラとKDDIを立ち上げ、日本航空(JAL)の経営再建にも尽力した稲盛和夫さんが90歳で亡くなって、8月24日で1年になる。
【写真】「これは動けない!」 カメラマンが圧倒された実際の盛和塾の様子
日本を代表する企業の経営に注力するかたわら、1983年にはボランティアで中小企業経営者に経営のあり方を教える「盛和塾」を設立した稲盛さん。全世界の塾生は1万人を優に超えた。生前に稲盛さんが著した書籍は73冊(自著55冊、共著18冊)に及び、計19言語に翻訳され、全世界の累計発行部数は2500万部を突破している。
1992年5月26日号のアエラ「現代の肖像」には、京セラ会長と第二電電(現・KDDI)会長を兼務する当時60歳の稲盛さんが登場している。
《稲盛は、日本一の集積回路(IC)パッケージメーカーにのし上がった京セラ会長と、巨像NTT(日本電信電話)に挑む第二電電会長を兼務、東京と京都を激しく往復している》
このとき稲盛さんの撮影を担当した写真家の太田順一さん(72)がこう振り返る。
「ざっくばらんで、朗らか。時代の寵児にありがちな尊大さなどみじんもない方でした。取材後に東京に行かれると聞いて、京都駅での撮影を急にお願いしたのですが、快く応じていただきました」
しかし、別の顔も目にすることになる。
「会議中の撮影もお願いしたのですが、社員の方たちを叱咤(しった)する稲盛さんの激しさには圧倒されました。経営者たるもの、こういうものかと」
過密スケジュールを縫って稲盛さんが情熱を注いでいたのが、若手経営者の勉強会「盛和会(せいわかい)」だった。盛和塾は1983年春、京都で生まれた。盛和塾の結成に至った経緯について、稲盛さんは記事の中でこのように語っている。
《「若い経営者たちから、経営のイロハを教えてくれと何回も頼まれ、西も東もわからんのに京都に出てきて今日になったので、地元への恩返しの気持ちもあって、夜ならと引き受けることにした」》
「現代の肖像」の撮影で太田さんが最も印象深いのが、京都の料亭で行われた盛和塾の光景だ。