古賀さんにレイテ島行きを勧めた野中さんはすでに鬼籍に入っている。18年に亡くなった。
実は野中さんが亡くなる半年ほど前、私は京都の事務所で彼に会っている。
沖縄の基地問題について訊ねると、こんな答えが返ってきた。
「沖縄に行くと何かの罪を犯したような気持ちになる。だが、仕方あるまい。犠牲を強いてきたんですよ。沖縄県民の視線も声も受け止め、理解することが国の責任です」
野中さんは国会議員時代、「師匠」と仰ぐ山中貞則氏から、沖縄を「思う」大切さを教えられたという。
「琉球処分以降、日本は沖縄にずっと迷惑をかけてきたのだと山中さんは訴えておられた。だからこそ、日本人の責任として、沖縄のことを常に考え続けてきた」
野中さんには忘れられない思い出があった。60年代前半の頃だ。当時、京都府町村会会長を務めていた。京都出身の戦没者慰霊塔を建設するため、初めて沖縄を訪ねた。
沖縄戦の激戦地だった嘉数の丘にタクシーで向かった。宜野湾の街に入ったところで、タクシーの運転手が突然に車を止めて訴えた。