古賀さんが初めてレイテ島を訪ねたのは2003年だ。それまで足を運ばなかったのは「顔も知らない父親の魂に、どのように声をかけてよいのかわからなかったから」だという。ためらっていた古賀さんの背中を押したのは、やはり幹事長経験者で盟友の野中広務さんだった。

「肉親の慰霊に出かけたことがないとは、実にけしからん」

 そう叱られたことで、重たい腰を上げた。

 ジャングルのなかを分け入り、保護者よろしくついてきた野中さんと一緒に、父親の部隊が全滅した場所までたどり着いた。即席の祭壇をつくり、線香を添えた。手を合わせていると突然、スコールに見舞われた。南国特有の激しい雨に打たれながら野中さんが言った。

「息子に会うことができたおやじさんのうれし涙が降ってきたぞ」

 このとき、生まれて初めて、父親を思って泣いた。連れて帰ろうと思った。遺骨代わりに小石を拾ってポケットのなかに収めた。持ち帰った小石はいま、自宅の仏壇に祭られている。

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遺骨を持たない遺族の悲しみ