だから――。古賀さんは私に訴えた。
「小石ひとつ、砂粒ひとつにも、そこで斃(たお)れた人間の魂が宿っていると考えるのが、遺族の心情というものだ」
「遺骨土砂」について訊ねた際、返ってきたのがこのエピソードだった。政府は沖縄戦の激戦地となった本島南部での土砂採取を検討している。名護市辺野古の米軍新基地建設に伴う埋め立て工事に用いるためだ。なんたる暴挙か。南部一帯には戦争の犠牲を強いられた多くの県民、兵士の骨や遺品が埋もれたままだ。現在も遺骨収集が進められている。そんな地の土砂を、よりによって基地建設に使用するというのだから、多くの県民が憤るのも当然だ。
「遺骨を持たない遺族の悲しみ。これは理屈じゃないんだ。そのことを理解できないのだとすれば、無神経に過ぎる」
レイテ島から小石を持ち帰るしかなかった古賀さんの言葉は、「本土防衛」の名の下で文字通りの捨て石にされた犠牲者の無念と遺族の悲しみに重なる。古賀さんは「沖縄の犠牲を忘れないため」、新型コロナ禍以前は毎年、慰霊の日に沖縄を訪ねてきた。昨今、反戦への思い入れはますます強くなる。戦争放棄を誓った憲法の精神が軽んじられ、さらに、沖縄の人々を逆なでするような物言いばかりが目立つ政治の世界に、きなくさいものを感じているからだ。