「集団自決」発言から浮かび上がるのは、特定の属性を持った人々を切り捨てる差別と排除の思想そのものだ。実費負担できない透析患者を「殺せ」と書いた長谷川豊氏(元フジテレビアナウンサー)や、セクシュアルマイノリティを「生産性がない」と表現した杉田水脈氏と何ら変わらない。

 そもそも――笑いで語るべきことなのか。

「集団自決」は、少しも笑える話ではない。

 それは、自発的に死を望んで「発生」したものではないのだ。死は、強いられたものだった。だからこそ沖縄ではこれを「強制集団死」と表現する人も少なくない(地元の一部メディアもこの文言を用いている)。

 あまりに軽薄な「成田発言」を耳にした際、私が真っ先に思い浮かべたのは金城重明さんのことだった。

「実際は、自決なんかじゃない。虐殺です」

 教会の薄暗い礼拝堂だった。そこで、私にそう訴えたのが金城さんである。沖縄戦の「集団自決」を生き延び、戦後はキリスト者としての道を歩んだ。

 その金城さんが22年7月に93歳で亡くなった。金城さんが存命であれば、成田氏の発言をどう受け止めただろうか。いや、受け止めることなどできたであろうか。

 笑い声を耳にしながら、金城さんはきっと苦痛に歪んだ表情を浮かべたに違いない。

「集団自決」は強いられたものだった。そして、生き残った者にも苦痛を与え続けた。そのことを金城さんは訴え続けてきた。