1931年生まれのジャニー氏と、1940年生まれの後のデヴィ夫人となる根本七保子さん。どちらも敗戦後の日本の発展と歩調を合わせるように、自らの人生を頂点までかけあがらせ財産と地位を一代で得た人。強烈な貧しさの中にあった日本が、世界一の豊かさを手に入れるまでの時代をドラマチックに生き抜いたという意味では、広い意味での同世代の人と言えるのかもしれません。とはいえ、やはり男のジャニー氏のかけあがり方と、女のデヴィ夫人の上昇方法は、全く違うものであったことでしょう。

 今回のデヴィ夫人の容赦ない被害者へのムチ打ち発言からは、この人自身も被害者だったのだろうな……と想起させるもののように私には読めました。過酷な性被害を受けながらも性被害を性被害と思わずに強く生きてきたプライドを持つ人が、性被害を訴える声を憎み封じることはよくある話だからです。

 デヴィ夫人の『選ばれる女におなりなさい デヴィ夫人の婚活論』を読みました。アマゾンで数百以上も高い評価がついているベストセラー。女にとって結婚とは「男に選ばれる」こと、そしてその結婚によって人生を大きく踏み出す一歩となるという持論のもと、デヴィ夫人は自らの人生を振り返りながら、「男からの選ばれ方」を婚活世代に向けて説きます。そこには結婚によって自分の「階級」をあげようと思う女性たちを鼓舞する、たとえばこんな言葉に溢れています。

「貧しさは神から与えられたギフトであり、イデオロギーであり、パワーの源なのです」

 そう。貧しかったからこそデヴィ夫人は学業を諦め、17歳でその美と若さを力に男たちが集うクラブで働きはじめます。当時のデヴィ夫人の写真が本の表紙になっていますが、文字通り、息をのむほどの美しい18歳のデヴィ夫人がいます。俳優としての才能があれば、どれほどの熱狂をまきおこしたことでしょう。

 時代は1950年代後半。朝鮮戦争後の日本は急速な右肩あがりの好景気のただ中にいました。そういうなか、日本の敗戦処理として、インドネシアへの戦後賠償の事業を担っていた商社の男性に根本七保子さんは39歳年上のスカルノ大統領を紹介されます。賠償金額は当時のお金で2億2300万ドルで、その賠償金をめぐって日本の商社が熾烈な争いをしていました。スカルノ大統領に対して、若い美人を“差し出す”取引があったことは、当時から言われていました。19歳の根本七保子さんも、そういう女性の中の1人だったのでしょう。それでも、超美人の若い女が「商品」になる男の世界でしか起きえないドラマチックな展開に、根本七保子さんは全くひるみません。いやむしろ積極的に立ち向かうのです。実際、根本七保子は何人かの女性たちの中からスカルノ大統領に「選ばれます」。デヴィ夫人は当時のことをこう記しています。

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ジャニー氏の成功の背後には……