佐藤正午の長篇小説『鳩の撃退法』の主人公は、直木賞を二度受賞したと噂されるかつての人気小説家、津田伸一である。津田は女性がらみのトラブルを起こして出版界をほされ、流れついたある地方都市で風俗店の送迎ドライバーをやりながらどうにか暮らしている。
そんな津田が偽札事件に巻きこまれる。そこに同じ街で起きた一家3人失踪事件もからみ、闇社会の影がはっきりと津田に近づいてくる。なんら意図せずに追われる身となってしまった津田は、自分にふりかかった〈過去に実際あった事実〉をできるだけ詳しく探りはじめ、どうしてこうなったのか事実のつながりを見極めていく。この展開を追って津田とともに「鳩」の謎を解いていくだけでも十分に愉しめる。登場する人物は老若男女にわたるが、的確で執拗な描写の力によってそれぞれの人となりもはっきりと伝わってくる。
しかし、この作品の真の魅力は別にある。
それは、この小説を書いているのが実力ある小説家、津田伸一であるという点に起因する。津田は〈過去に実際あった事実〉を入手しつつ、小説家らしく〈過去にあり得た事実〉を模索し、その内容を久しぶりに小説として書きつづけたのだ。書かなければ見えてこない、気づかない事実もあるから、津田は修正も厭わない。だから、物語はいきなり時空間を飛びこえ、過去にもどったり、現在に帰ってきたりする。しかも、物語の中心にいる人物と作者が同じなのだから、ひとつ間違えれば、読者は混乱して戸惑い、そこで本を置くかもしれない危険がある。
だが、どうだ。佐藤はそんな難事を自在にやってみせ、「小説家が小説を書きながら謎を解く」作品をこうして世に飛ばしてみせた。小説を書いたことがある、いや、一度でも小説を書こうとした経験がある人、そして今も書いている人がこれを読めば、読了後しばらくは、佐藤の圧倒的な妙技に呆然とするだろう。
※週刊朝日 2015年3月27日号