『24 NIGHTS』ERIC CLAPTON
『24 NIGHTS』ERIC CLAPTON
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 1980年代が終わろうとしていた、そのぎりぎりの段階で、クラプトンは原点回帰を強く意識したものと思われるアルバム『ジャーニーマン』を発表している。そして、そこで得た手応えが、悲劇を乗り越える過程で、ある種の偶然にも助けられて手にすることとなる90年代の驚異的な成功につながっていく。そのことに関してはまた詳しく書くが、ちょっと視点を変えてみると、熱心なファンの方は誰もが、ある変化に気づいていたはずだ。当時の精神状態と大きく関わるものであったのか、40代後半の彼はあらためて髪を長く伸ばし、アルマーニやベルサーチのスーツを独特の感覚で着こなしてステージ立つことが多くなったのである。特注だったのか、贈物だったのか、なんとギターのストラップまでもが、ベルサーチ製だった。

 そのスタイリッシュな出で立ちのクラプトンをイラスト化(ビートルズとの仕事でも知られるピーター・ブレイク)したジャケットも印象的なCD2枚組ライヴ・アルバムが、91年秋にリリースされている。『24ナイツ』だ。タイトルは、91年2月5日から3月9日まで、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行なわれた24回連続公演からとられたものだが、前年同時期、同会場での18回公演もあわせた音源のなかから、15曲がピックアップされている。

 計42という回数もさることながら、驚かされたのは、その内容の多彩さだった。もちろん、まだ、YouTubeどころか、ネット情報などという概念すらなかった時代だが、雑誌などによればクラプトンは、4人編成、9人編成、ブルース・ユニット、ナショナル・フィルハーモニック・オーケストラとの共演(指揮はマイケル・ケイメン)という4つの異なるフォーマットでこの連続公演に望んでいるのだ。ライヴ・パフォーマーとしての自信を完全に取り戻し、ステージこそが自分の生きる場所だと、そう再確認したのだろう。

 15曲の内訳は、《ラニング・オン・フェイス》や《オールド・ラヴ》など『ジャーニーマン』収録曲が5、それ以前の代表曲が6、ブルース・スタンダードが3、そして、マイケル・ケイメンとの出会いのきっかけとなった《エッジ・オブ・ダークネス》、というもの。約9分に及ぶ《ワンダフル・トゥナイト》、オーケストラをバックにした《ベル・ボトム・ブルース》など、新しい生命を吹き込まれた名曲も少なくない。

 ここで得た感触や手応えを、どうやって次のステップに生かすか? クラプトンは真剣に考えたに違いない。いや、もう方向性は決まっていたのかもしれない。しかし、すべてはいったん棚上げとなる。91年の連続講演を終えた11日後、4歳半の息子が、母親と暮らしていたニューヨークの高層アパートから転落し、亡くなってしまったのだ。[次回3/25(水)更新予定]

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