『裁判官の爆笑お言葉集 (幻冬舎新書)』長嶺 超輝 幻冬舎
『裁判官の爆笑お言葉集 (幻冬舎新書)』長嶺 超輝 幻冬舎
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 ドラマや小説などで裁判のシーンを見るが、多くの人にとってはどこか現実味のない、自分とは別世界の出来事と思っているのではないだろうか。裁判をより身近なものにという理由で国民が参加する裁判員制度も導入されているが、まだまだ身近なものとして感じられないのが現状だ。

 今回みなさんに紹介するのは、自身もかつて弁護士を目指していたという長嶺超輝氏のロングセラー著書『裁判官の爆笑お言葉集』(幻冬舎新書)。同書の冒頭で、長嶺氏は「法」についてこう語っている。

「法というものの仕組みは、つきつめれば『デジタル』に他なりません。すなわち『ある』か『ない』かという二項対立の組み合わせです。(中略)このデジタルな法的結論の中に、ふとアナログの表情が見えてくることもあります。それが裁判官の言葉」(同書より)

 「デジタル=法」な中に垣間見える「アナログ=裁判官の言葉」を、100件近くの事例と共に紹介しているのが同書の大きな特徴である。同書を読み終わる頃には、淡々と判決を言い渡す裁判官のイメージが大きく変わるのではないだろうか。

 同書ではまず裁判官の言葉があり、その後にその言葉がどのタイミングで出てきたかの説明が、事件の概要・判決とともに紹介されている。

「もうやったらあかんで。がんばりや」(同書より)

 この言葉から始まる裁判の事例。2人の子供がいる母親で、数年前に夫は家出、パートをしながら必死に頑張っていたが追いつめられて万引きを繰り返すように...。裁判官が執行猶予・保護観察つきの有罪判決を言い渡した後の閉廷後、被告人の手を握りながらこの励ましの言葉をかけたという。

「暴走族は、暴力団の少年部だ。犬のうんこですら肥料になるのに、君たちは何の役にも立たない産業廃棄物以下じゃないか」(同書より)

 少年審判での裁判官のこの発言、当時は賛否両論真っぷたつに分かれたそう。暴走族のメンバーだった15歳の少年が暴走族から足を洗おうとして、他のメンバーから集団暴行を受けて命を落とした事件。本来は少年の立ちなおりを見守る立場の裁判官の発言を、長嶺氏は著書の中でこうまとめている。

「批判を覚悟の上で、あえて毒をもって毒を制する発言に及んだのではないでしょうか」(同書より)

 紹介したふたつの裁判官の言葉だけを見ても、裁判はデジタルにおこなわれるものだが決してデジタルだけではなく、アナログの部分が存在することが分かるのではないだろうか。人が関わる以上、デジタルだけというわけにはいかないのだろう。長嶺氏のこの言葉が同書を読むとよく分かる。

「法律という同じ道具を使っていても、裁く人が違えば、これだけ多様な裁き方があるのを知ることには、なにがしかの意味があると私は考えます」(同書より)

 同書の魅力は裁判官の言葉だけではない。ところどころで登場する長嶺氏の発言がまた興味深いのである。総合格闘技のイベントを主催する会社の脱税事件の被告人に対しての長嶺氏の発言はこちら。

「あまりの潔さに、私の隠れた必殺技である「見えない左ハイキック」をお見舞いしたいところですが、代わって飯田裁判長が見事にやってくださいました」(同書より)

 それぞれの事例に対してどんな長嶺節が炸裂するのかワクワクしながら読み進めるのもまたオススメである。事例の合間でコラムという形で紹介されている裁判所に関する小ネタや裏情報もまた興味深いものが多い。

「裁判官が法廷で自分の考えを述べる場合には、『私』でも『本官』でもなく、なぜか建物の名前である『裁判所』が主語として選ばれます。

5年以上のキャリアがある判事補のうち、最高裁が特に認めた者は『特例判事補』として、単独審理ができることになっています。しかも、『裁判官の数が足りない』という理由で、判事補のほぼ全員に、この『特例』が与えられているのが現状です」(同書より)

 長嶺氏自身が弁護士の道を目指していたということもあり、あまり公表されていないような情報や裏事情が知れる点も同書の魅力のひとつである。

 同書を読み終えると、「実際の裁判の現場を自分も感じてみたい!」と思う人もいるだろう。平日の昼間に限られるが、申し込み不要で入場も無料と、実は想像しているよりずっと簡単に法廷を訪れることはできるようだ。別世界だと思っていた裁判の現場は、実は思っているより身近にあるのかもしれない。