西川のりおさん(撮影/中西正男)
西川のりおさん(撮影/中西正男)

いくら時代が変わっても「安心して見られる」なんて言葉はお笑いにとって褒め言葉でも何でもないと僕は思うんです。危なっかしいほうが面白い。そして、なんだかんだ言っても、見る側は芸人にそれを求めている。芸人が見せるべきは規格外の生きざまですから。

基本的にね、僕は芸人という職業はその人自身の馬力、才能、いびつさありきの仕事だと思っています。素のポテンシャルというか。人としての規格外の者が芸人になる。普通の人がけいこをして芸人らしい振る舞いをする。これも大事なことではありますけど、僕はナチュラルに針が振り切れている人間がやる仕事が芸人やと思っています。

ほんでね、今はね、妙にみんなが仲良しというか、誰かが売れたことを他の芸人も喜ぶ。それが当たり前の世界になっているなとも感じます。もちろん、気の合うヤツがいることは悪い事ではないけれど、近い人間が売れたら悔しい。もっと言うと、例えば(明石家)さんまやないですけど、自分の力では届かんところまで行ってる人間でも「オレは認めん」と最後まで強がる。譲らない。その思いも、この仕事には必要なことだと思うんです。

僕は芸能界の野党やと思ってずっとやってきました。真ん中で売れてる人間は与党です。野党として、なんとか与党を打ち負かしたい。それが僕の根っこの思いです。ジェラシー、ひがみ。そして、そこから生まれる怒り。これが僕の原動力なんでしょうね。

ナニな話、小学生の時に意地悪してきたヤツは今でも嫌いですもん。ジャングルジムで近所の寺の娘がイヤミを言うてきたんですけど、その時の細かい描写も全部覚えてますし、その子はね、今でも全然許してません(笑)。

だからね、変に大人にはなれないんです。ほんでまた、変な大人にはならないほうがいいと僕は思っています。「もうエエ歳なんやから、そんなことくらいで腹を立てんと……」と言われても、僕はまだ腹が立ちますしね。それが力になるし、丸くなんかならなくてもいい。今72歳になってリアルに思うのがそれですわ。

次のページ
人生は究極的には「自己満足」