5月の広島サミットは、政治家・岸田首相のクライマックスのはずだった。故郷に錦を飾るとともに、「全ての者にとっての安全が損なわれない形」という制約を伴ったものの、首脳宣言には「核兵器のない世界」との文言を盛り込むことができた。ウクライナのゼレンスキー大統領の来日を成功させ、世界的に注目も浴びた。外交を得意とする岸田首相の面目躍如たるところだった。

 ここで“伝家の宝刀”を抜きたい気持ちになるのも理解できる。岸田首相は首相就任10日後の2021年10月14日に、衆院を解散した。だがこれは、同月21日に任期満了が迫っていたためで、首相としての手腕や政策を国民に問うたわけではない。

 来年の自民党総裁選の前に衆院を解散して大勝したいが、総裁選は1年以上も先だ。また衆院は任期の半分も過ぎていない。「いくら何でも早すぎる」との意見が噴出した。

 たとえば金沢市に本社を置く地方紙の「北國新聞」による歴代首相のインタビュー連載だ。5月16日付で麻生太郎元首相が「解散は常識的に見て秋以降」と述べ、6月11日付で森喜朗元首相が「解散は来年でも良いと思っている」と発言した。

■公明票あてにできずショックで体調崩す自民議員も

 加えて公明党との関係の悪化だ。小選挙区の「10増10減」によって次の衆院選から、東京で5議席、神奈川で2議席、千葉、埼玉、愛知でそれぞれ1議席が増えることになっている。公明党はまず、新しい区割りになる埼玉14区から石井啓一幹事長、愛知の新16区から伊藤渉政調会長代理を出馬させることを決定。東京では岡本三成衆院議員を旧12区から新29区に移させ、新たに新28区も求めたのだ。

 これに対し自民党側は反発し、とりわけ東京28区を巡っては、両党幹事長会談で怒鳴り合いになるなど対立は深刻化。ついには公明党側から東京での関係断絶宣言が発せられた。

 慌てたのは公明票に頼ってきた自民党の議員たちだ。公明票が離反するリスクばかりでなく、公明党が大阪や兵庫での議席を守るために日本維新の会に接近すれば、あちこちで“どんでん返し”が起こりかねない。ショックのあまり、体に変調をきたす議員が出たほどだ。

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長男・翔太郎氏の行動が“足かせに”