
岸田文雄首相の真意はどこにあったのか。解散についての発言だ。二転三転し、結局、6月21日に閉会した国会での解散は否定した。「タイミングを考えれば今がベスト」「前回選挙からまだ早すぎる」など、解散を促す側と、それを止めようとする側双方の“力”が働いていたようにも見えた。岸田首相のまわりで何が起きていたのか。解散をやめたのはなぜだったのか。政治ジャーナリストの安積明子氏はどう見たのか聞いた。
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「今国会での解散は考えていない」
岸田首相は6月15日夕方、官邸で記者団にこのように言明した。その2日前に行われた会見で岸田首相は記者から衆院の解散の可能性について質問を受け、「情勢を見極めたい。現時点ではそれ以上のことについて答えることは控えたい」などと答えたばかりだった。
解散を否定しなかったその言葉に、永田町は「岸田首相は衆院解散に打って出るつもりだ」と色めきたった。さらにフジテレビが翌14日午前、「16日に内閣不信任決議案が提出されれば、その日のうちに解散を表明することを岸田首相は検討」と報道した。フジテレビといえば、山際大志郎経済再生担当相の更迭をいち早くスクープしたことが思い出された。この時の情報漏洩の“犯人”とされたのが首相秘書官だった岸田首相の長男の翔太郎氏だが、その翔太郎氏も職を解かれて今は官邸にいない。よってその情報源は「大物」ということになる。
しかし15日には日経新聞が「今国会の解散見送り論」を報じた。首相周辺が14日夜に「今国会の解散はないだろう」と述べたという。おそらく岸田首相が「火消し」を指示したのだろう。「『首相周辺』とは政務秘書官の嶋田(隆)さんだろう。日経新聞に書かせるのは、彼らしいやり方だ」と関係者は話した。
まるでマッチポンプのような茶番だが、このようなことがなぜ起こったのか。それは岸田首相の目的が、ただひたすら政権の延命にあることを軸に考えればわかりやすい。