週1回、新宿ゴールデン街でバー「サロン・ド・ギフテッド」のカウンターに立つ
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 ただ、親や周りの評価は「変わった子」。目に入るものすべてに興味を示すからだ。例えば、活字を読んでいないと落ち着かず、ごはんを食べながら、食品のパッケージに書かれた栄養成分表示や、新聞を隅から隅まで読んでいたという。「全部目に入れてましたね。情報を吸収していないと気が済まない子でした」と立花さん。

 小学校は、当時はまだ1クラス40人の大人数学級。立花さんは、授業は毎日、とても退屈に感じていたという。教科書をひととおり読めばだいたい理解できるのに、先生は、同じことを黒板に何度も書いたり説明したりする。「答えがすぐわかる問題をわざわざ出すのはなぜだろうと常々思っていました」。

 授業中は、プリントの裏に落書きをして時間をつぶしていたという。鉛筆回しもよくやった。先生からは「態度が悪い」「もっと授業をちゃんと聞きなさい」と叱られたことを覚えている。学年が上がるごとに、退屈な授業や学校生活を、苦痛に感じるようになっていった。

 勉強はしなくても、テストはいつも満点をとった。通知表は、体育以外はすべて「◎」。その代わり、同級生とは話が合わなかった。勉強していないのにできるからだろうか、いつの間にか嫌われていたという。

「無視されたり、工作でつくった作品を隠されたりしましたね。遠足の班分けは、いつも自分だけ最後まで残っていました。だんだん、自分が悪いことをしているからいじめられるのだと思うようになっていきました」

 ただ、両親は学校に行くのは当たり前だという考えだったため、理由がなければ学校は休めない。「おなかが痛い」「頭が痛い」と言って学校を休むようになった。

 中学ではさらに孤立した。同級生が話すアイドルや恋愛話にはまったく興味が湧かなかった。友達がいないと学校生活はつらいことばかりで、無理に話を合わせることもあった。だが、一人で「石に意識はあるのか」というテーマで漫画を描いたり、宇宙や時間についての専門書を読みふけったりすることのほうが楽しかったという。学校に行くよりも、母が買ってくれたパソコンで自身のサイトを立ち上げたり、当時はまっていた漫画「封神演義」のファンの集まりに行ったりするほうがよっぽど楽しかった。

 小中学校ではどんな子どもでしたか。私が聞くと、立花さんはしばらく考えた。「みんなの『わからないこと』がわからず、浮いた存在でしたね。自分を否定されたくないからなんとか話を合わせようとはしていました。でも、心の中ではずっと生きづらさを抱えていました」

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