「ドリルやテストはだいたい満点でした。でも、テストは内容と時間を一方的に決められるので好きじゃなかった。夏休みの宿題は一日で終わらせていましたね。英語は、発音記号から(音を頭でイメージして)覚えていました」
■「聞こえる」のにできないのが不思議
小学6年の時の通知表を見せてもらった。ほとんど「◎」の中で、5カ所だけ1~3学期を通して「○」の項目があった。
例えば国語では、「聞き手にも内容がよく味わえるように朗読する」「細かい点に注意して内容を正確に聞き取り、自分の意見や感想をまとめる」の項目は「○」。音楽では、「音の響き合いを感じて歌ったり、音色の特徴を生かして演奏したりする」が「○」だった。いずれも、聴力や発話が必要な項目だ。
耳が聞こえず、話すことも難しいのだから、できないのは当たり前だ。それなのに他の聴者の子どもと同じ基準で「○」と評価するのは、あまりに機械的すぎないか。そう思い、「学校ってやっぱり硬直的ですね」と感想を言うと、女性は苦笑いしながら言った。
「先生から通知表のコメントで『学習意欲低下』と書かれたこともありました。それはその通りなのですが、なぜ自分が勝手に教科書を先に進めて読んでいるのかということを知ろうとしてくれなかった。『聞こえないから、今どこを学んでいるのかわかっていないのだろう』と思われて、注意されることもよくありました。そうじゃないんだけどなあって」
女性にとっては、勉強はがんばってするものではなかった。ただ単に、教科書を読んでいれば、内容を理解でき、テストもできただけ。それが普通のことだとも思っていた。さらに言えば、耳が聞こえる同級生は、耳が聞こえない自分よりも、もっと勉強ができるはずだと考えていたという。
「先生が黒板に板書をしますよね。あれは、耳が聞こえない自分がノートをとるためにしてくれているのだろうと思っていましたから」
だから、テストの点数が自分より悪い同級生がいることが不思議だった。先生の話す内容を聞き取れない自分が理解できていて、聞き取れるはずの同級生がついてこられない状況が、理解できなかったのだ。「聞こえる人ってバカなんだ」と思うこともあったという。