女性が住む、西日本のある地方都市へ向かった。
待ち合わせたのは、図書館が併設された文化施設。あてにしていた併設のカフェがコロナ下で閉店しており、施設に机とイスを借り、空きスペースで取材することになった。
直前に私からメールで「施設の駐車場の前にいます」と居場所を知らせたので、女性はすぐに気づいて、会釈してくれた。身長150センチほどの小柄な女性。清潔感のある白いシャツと薄ピンク色のマスクが印象的だった。当たり前だが、外見ではろう者であるとはわからない。
■聞き取れなくても頭脳でカバー
女性は、先天性の難聴だ。3歳の時に「聴覚障害」と診断された。自身が初めてそのことを自覚したのは、4歳の時だったという。
「飛行機型のジャングルジムで遊んでいる時だったと思います。一緒に遊んでいる友達は、笑ったり、はしゃぎあったり、互いに反応しあいながら動いているように見えました。私は補聴器をしている間は少しの音は聞こえるけど、何と言っているかまではわからなくて。友達の相互作用の中に入れていない。ひとりぼっちになっているなと感じていました」
公務員だった両親は聴者だった。女性は幼稚園と小学校1年まではろう学校に通ったが、「聴者に慣れてほしい」という親の希望で、小2から一般の公立小学校へ転校したという。「体育館のステージに立ち、ろう学校と違ってたくさんの子どもが並んでいるのを見て、とてもワクワクしたのを覚えています。好奇心旺盛な子どもでした」
補聴器をつければ、少しの音は聞き取れた。先生や同級生が発する音と、相手の口の動きや表情、しぐさ、文脈などから意味を推し量り、少しずつコミュニケーションがとれるようになったという。
ただ授業中は、教壇から説明する先生の言葉は、距離があってほとんど聞き取れなかった。しかし勉強に関しては、あまり問題にならなかったという。学習の内容は、教科書を読めばほぼすべて理解できたためだ。