このフィッツジェラルドの作品にかける意志を村上さんは「極めて誠実な態度である」としている。

 村上さんは<小説家としての僕は、スコット・フィッツジェラルドをひとつの規範・規準として見ている>と書いているから、村上さんが40年を経て中篇をもうひとつの作品『街と─』にしている最中に頭をよぎったのは、フィッツジェラルドの『夜はやさし』に対する献身だったのかもしれない。

 私は今回出版された『街と─』を読みながら、やはり村上さんの誠実さを感じたし、フィクションの書き手というのは、ノンフィクションの書き手には持ち得ない凄まじい力があると感じた。

『街と─』のあとがきにこんな一節がある。

<一人の作家が一生のうちに真摯に語ることができる物語は、基本的に数が限られている。我々はその限られた数のモチーフを、手を変え品を変え、様々な形に書き換えていくだけなのだ>

 私の元同僚が20代の時に夢中になって読んだ『世界の─』も、今回、私が巡礼をしているかのような気持ちになって読んだ『街と─』も、同じモチーフに発しながら、まったく違う物語が展開している。違う「足し算」をしているのだ。

 ノンフィクションの場合、ぼんやりとしているテーマから、取材によって材料を集め、そしてひとつの物語を紡いでいく。その過程は、取材した材料を見つけた物語によって、いかに捨てていくかという「引き算」なのだ。

 ノンフィクションの書き手は、足し算をすることができない。だから私は優れたフィクションの書き手を自分にもっていない不思議な能力を持っている人として無条件に尊敬する。

 村上春樹はその右代表。

下山進(しもやま・すすむ)/ノンフィクション作家・上智大学新聞学科非常勤講師。メディア業界の構造変化や興廃を、綿密な取材をもとに鮮やかに描き、メディアのあるべき姿について発信してきた。主な著書に『2050年のメディア』(文春文庫)など。

AERA 2023年7月3日号