1986年元旦のウィーン、垂れ込めるような曇り空のなか、あいている店は、マクドナルドしかない。彼女は、東京から友人に送ってもらった一冊の本を一心不乱に読んでいた。
その箱入りの本は、取り出すとピンクの布貼りがしてあることがわかる。空押しとよばれるプレスでついた不思議な模様をなでながら、その日は朝からずっとその本を読んでいた。
村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』である。
それから、37年たった6月のある晩、西荻窪のイタリアンでピザをかじりながら、
「あんなに夢中になって小説を読むことがあのころはできたんだなあって」と言ったのは、このコラムに時々登場している元同僚の編集者だ。
村上春樹が6年ぶりの新作『街とその不確かな壁』を4月に発表した。
この本には、村上の小説ではめったに見ることのない「あとがき」がつけられている。それを読むと、『世界の─』と『街とその不確かな壁』は1980年に文芸誌「文學界」に発表した400字詰め150枚ほどの中篇を起点にして生まれた双子のようなものだということがわかる。
1960年代に生まれた元同僚や私にとって村上春樹は、思春期から今にいたるまでほぼ同時代で読んできた特別な作家だ。
今回の『街とその不確かな壁』、そして1985年の『世界の─』、そしてそもそもの出発点となった1980年の文學界に発表した中篇。この三つの作品を読み比べてみた。
そこで様々に感じることがあったので、書いているのがこの回。
村上は『街と─』のあとがきで、そもそもの中篇についてこんなことを書いている。
<雑誌には掲載したものの、内容的にどうしても納得がいかず(いろいろ前後の事情はあったのだが、生煮えのまま世に出してしまったと感じていた)、書籍化はしなかった>
村上は、ジャズの店を畳んで専業作家になってから、この中篇を腰を据えて書き直し、最初に生まれたのが、『世界の─』ということになり、それから38年後に「もうひとつの対応」として出したのが『街と─』ということになる。