朝日新聞で、コラム「アロハで猟師してみました」や「新聞記者の文章術」を担当する近藤康太郎のもとには、文章の書き方や勉強の仕方を学ぶため、社内外の記者が集まってくる。その文章技法を解説した『三行で撃つ <善く、生きる>ための文章塾』(CCCメディアハウス)に続き、読書法や勉強の仕方についてまとめた姉妹編『百冊で耕す <自由に、なる>ための読書術』(同社)が刊行された。多数の方法が紹介されている本書より、新聞記者ならではの読み方を一部紹介する。
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新聞書評は使える
なぜ、新聞書評か。ネットの書評ではだめなのか。わたしは新聞記者として、読書面の編集にも携わった。だから知っている。新聞の、読書面にかける時間とカネは、やや異常だ。ものすごくぜいたくに作っている。
新聞社の読書面編集部には、国内のおもだった出版社から、毎日、多数の書籍が送られてくる。書評してほしいという売り込みで、これだけでもたいへんな数になる。
こうした献本以外にも本は出版されているから、見落としがないか、自分たちで探して買ってくる。わたしが働いていたころは、二人の新聞記者が、神田神保町にある大型書店に赴き、そこの一室を借り切って、店員に並べてもらった新刊本を手にとって調べた。大の大人が二人して、何時間もかけて、まだ入手していない、しかし重要な本がないかどうか、目をこらす。
その書籍を新聞社に持ち帰り、出版社から送られてきた献本数百冊と合わせ、記者数人でチェックする。書評するにあたらないものは、候補からどんどんはずしていく。そうして残ったのが百冊あまり。これを、こんどは正式な“競り市”である書評委員会にかける。
書評委員会とは、新聞社外の作家や評論家、学者、アーティストら、ギャラを払って委嘱した、本の「目利き」たちの会合だ。その人たちが二週間に一度、小一時間、棚の上の百冊余の本を立ち読みする。書評するべきだと直感した本を、一人につき数冊ずつ持ち帰る。
書評委員は二週間後に再び集まり、じっさいに読んでみてどうだったか、合議で報告する。書評を載せるべきか否か。載せるにしても、大きな記事がいいのか、小型書評ですませていいのか議論する。