大学からの友人でイラストレーターのくどうのぞみは、「好きなことにはとことん一途」と話す。

「当時、ほとんどの子がイラストレーターを目指していた中で、高田さんはレタリングやビットマップフォントの作品を熱心に制作していました。人と異なることを恐れないし、気になる人には臆せず会いに行く。芯がすごく強いんです」

 卒業後は、より書体の研究を深めるため、同大学の専攻科に進学。日本タイポグラフィ協会が主催する夏季講習に参加し、そこで講師を務めていた書体デザイナーの林隆男と知り合う。

「林さんは、1970年代に“新書体”として一世を風靡(ふうび)した『タイポス』の開発者の一人で、私がずっと憧れていた人。会ったその日に、自作したフォントのサンプルを渡して、『今度作品を見てください!』と直談判しました」

■特別支援学校で知った 本が読めない子どもたち

 林の知遇を得た高田は、専攻科を卒業後、林が代表を務めるタイプバンクに入社。新人時代は、写植の原字(写植機の文字盤の元になる字)を精密に仕上げるため、烏口(からすぐち・製図用のペン)でわずか1ミリの間に10本の線を重なることなく引けるように練習を繰り返した。その後、ワープロの普及とともにビットマップフォント(ドットの集まりで表現された文字)の需要が急拡大すると、担当デザイナーとして1日に200~300を作字するなど、昼夜を問わず仕事に没頭する。

 さらに80年代後半になると、現在も使われているアウトラインフォントが登場する。文字の輪郭線を指定するアンカーポイント(固定点)の配置を研究するなど、技術の発展に応じて高田の仕事内容も目まぐるしく変わった。

 転機が訪れたのは2007年。ある鉄道車両メーカーから「高齢者でも見やすい表示パネルの文字をデザインしてほしい」という依頼が舞い込む。これを契機に、高田は「文字のユニバーサルデザイン」の研究にのめり込むようになる。

「その前年に、書体メーカーのイワタが国内初のUDフォントを発売して話題になっていた。そこでどうせなら高齢者だけでなく、視覚障害の方にも見やすいUDフォントを作ろうとなりました」

 UDの本質は、人を選ばないこと。年齢も性別も国籍も障害の有無も関係なく、あらゆる人が利用しやすいように設計することにある。だがはたして、遠くからでも見やすいように線を太く、字面を大きくしただけでUDと言えるのか。

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