
元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
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アメリカから帰国して近所の好きなカフェに行ったら、店員さんがマスクを外していてハッとした。日の光が差し込んだようでポカポカした。5類変更の日には別のカフェでも店員さんがマスクを外し、パーテーションも撤去されていた。見たことのないような、何だか心許ないような不思議な光景だった。3年前には当たり前の景色をもう忘れてしまっているのである。
こんなに全てを忘れっぽくなっているのだから、喉元過ぎればということにならぬよう、この「コロナ期」とは一体何だったのかをこの場を借りて総括しておきたい。
私が学んだ最大のことは、「正しさ」なんてものはどこにもないということだ。皆がウイルスに怯えていた頃、マスク、ワクチン、飲食店の営業、イベント開催など、マスコミも個人も、懸命に「正しい」行動をとるべきだと主張しまくった。私もその中の一人だったと思う。でも今振り返ってみれば、純粋に金ピカな正しさが存在すると信じることそのものが最大のリスクだった。人を守るための議論のはずが、自分と考えの違う人、自分とは違う行動をとる人が許せないという感情を抱いたことを覚えておきたい。

で、たぶんコロナに限らず、これまでも、これからも、世の中で起きるすべてのことは、純粋に正しくもなければ純粋に間違ってもいないのだ。そんなどこまでも決着のつかない曖昧さの中を、どうやって自分なりに前を向いて生きていくのか。そのことの難しさと大切さを突きつけられた3年間であった。
ちなみに個人的に感慨深かったのは、私はこの3年、マスクを買わずに済ませたということである。正確には数回、電車に乗るのにマスクを忘れたことに気づき使い捨て品を買ったが、それ以外は、人様から頂いた手作りマスク数個を洗濯したりゴムを替えたりしながら使い続けた。単に、まだ使えるものを捨てるのがストレスだったためである。
これが「正しい」行動だったかどうかもやはりわからない。幸いにも感染することなく今に至る。
◎稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
※AERA 2023年5月22日号
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