楠社長は卒業に必要な単位を取得していながら、あえて卒業論文を提出せず、留年を選んだ。
「大学3年からNHK広島放送局で報道カメラマンのアシスタントとしてアルバイトをしていました。おもしろかったので、就職活動ではマスコミを志望しましたが、縁がなく。翌年、システムエンジニアに方針転換」
学費は全部、自分のアルバイト代で払っていたという。
「学費は当時で年18万円だったかな、国立だから安かったんですよ。アルバイト代を月に十数万円もらっていましたし、奨学金もありました。3人兄弟の長男なので、両親には『学費くらい自分で稼ぐ』と言っていました」
卒業して最初の就職先は米ディジタル・イクイップメント・コーポレーション(DEC=現ヒューレット・パッカード)の日本法人。当時は「システムエンジニアが将来的に100万人不足する」と言われていた。
「当時メジャーだったのはIBM、NEC、富士通。新卒で2000人も採用していましたが、そんなに多いと出世が大変そうじゃないですか(笑)。当時AIの分野で先行し、勢いのあったDECを選びました」
DECで半年間の集中研修を終えたあとは住友銀行(現三井住友銀行)に3年、日本生命に4年。DECの顧客である大手金融機関にエンジニアとして詰めていたが、「顧客の要望を聞いて受け身でシステムを作るより、能動的に働きたいと思い、転職を考えました」。
普通なら人のツテを頼ったりしそうなものだが、楠社長は回り道を選んだ。米国留学である。
仕事の合間に専門学校へ通い、ビジネススクール留学に必要な総合試験「GMAT」のスコアを上げ、シカゴ大学ビジネススクールでMBA(経営学修士)を取得した。
MBAを引っ提げて、世界的なコンサルティング会社A.T.カーニーに入社。ポジションも収入もアップしたが、再び「自分で何かやりたい」という気持ちになった。
そのタイミングで聞きつけたのがDLJディレクトSFG証券(現楽天証券)の立ち上げ話だ。面談すると、すぐに入社が決まった。
1999年の創業当初、顧客獲得ツールといえば紙の新聞広告。その効果は絶大だった。