宮田:おっしゃるとおり、トランプ氏はある種、人々をよく見ていたんでしょうね。一つ前のオバマ政権は「ポリティカルコレクトネス」の塊で、差別の撤廃や核軍縮など正しいことは言っているんですが、国民はどんどん失業で苦しくなっていた。そんな中でSNSの時代が来て、ツイッターなどで一部の人に熱狂的に支持される言葉を言えば当選できるとトランプ氏は踏んだのだと思います。時代の転換点でした。

田原:問題は、今、トランプ流の「自分の国さえよければいい」という考え方が世界中に広がっていること。一番いい例がEUを離脱したイギリスでしょう。

■デジタル社会が問題可視化する

宮田:かつてはマスメディアが正しいと思われていて、そこで国民的な議題をぶつけ合って勝負することができた。米国の二大政党制はその象徴でした。ところがそれが、トランプ氏の時代からお互い自分が得意なところを言って相手を非難するだけで、議論がまったく噛み合っていない。バイデン大統領も同じです。

田原:SNSの普及でそういう変化が起きたとしたら、デジタル化は政治にとってマイナスだったのでしょうか。

宮田:否定できませんが、プラス面も大いにあったと思います。一つには、先ほどおっしゃった個人の生きづらさのような問題が可視化されるようになり、多様な人たちがどう豊かに生きるか、未来に今の生活を続けていけるのかどうか、といったことが以前より注目されるようになってきました。

田原:具体的には?

宮田:たとえば服飾産業では、今までは先進国の企業が途上国をひたすら搾取して安いものを作る構造でした。ところが13年にバングラデシュで、工場に倒壊の危険があるのがわかっているのに働かせて千人以上が亡くなるラナ・プラザ崩落事故が起きた。それがインターネットによって可視化されて、これまでのやり方はもうあり得ない、となった。グローバリズムの論理では「イエス」だったものが、「ノー」になったんです。

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