日本におけるやきとりの誕生とかやきとり屋の成り立ちなんて考えたこともなく、ただ「テキトーに行く外食の場」として「テキトーに食べてテキトーに満足」しているだけなのだが、こうやってやきとりの歴史、やきとりの文化を説き起こされると「なるほどなあ」と感心することがいっぱいある。著者はフリーランスの食記者、編集者である。
 自分の子供時代を思い出すと、やきとりというと「豚レバーのタレ焼き」「豚シロのタレ焼き」で、とりと名乗りながら鳥じゃなかった。本書を読むと、うちの近所のやきとり屋が看板を偽ってたわけじゃないことがわかる。やきとり屋の歴史は、とりもつを串に刺してタレをつけ焼いたものを屋台で出していた→とりもつ串焼きから豚や牛の臓物串焼きとなった→やきとり、というものなのだ。やきとりには「豚や牛のモツを焼いたもの」もちゃんと含まれるのである。
 これでわかるように、とにかく「串を使った至極簡単な食物」として、やきとりは出発したわけだ。いや、その前に、古代の神饌としての野鳥料理や、その後登場したキジやツル、カモ、そしてニワトリの料理、とくに元禄の頃の文書にある、鳥肉を串に刺し、塩をかけて焼き、酒入りの醤油にくぐらせたという「やきとりの原型」もあった。
 そんな生まれのやきとりが、戦中戦後を経て現在どういうことになっているのか。高級やきとり屋やチェーン店、そして各種のやきとりネタの紹介、と内容は広がっていく。
 広がりすぎて散漫な気もするが、別にそのへんはどうでもいい気になるのは、読みながら「ああやきとり食いたい……」と、近所の店のどこに行くか、この本が次々と紹介するお店のどこかに行ってみるためにまず場所を調べるか、とか思ってしまうからだろう。山口の長門市ではやきとりにガーリックパウダーをかけるらしい。なんか、すごくジャンクで美味しそうだ。いつか行くぞ。

週刊朝日 2015年2月27日号