ピエール・ルメートルの『その女アレックス』は昨年9月に刊行され、「このミステリーがすごい!」などの年間ランキングで、翻訳ミステリー部門のトップに輝いた。専門家の高評価とともに部数も伸び、年明けに私が購入した文庫本の帯には〈30万部突破!〉とあった。私はちょっと眉に唾つけて読みはじめ、気づけば本を手放せなくなっていた。
 アレックスはパリに暮らす、どんなファッションでも着こなす非常勤の看護師。30歳の美人とあって、あらゆる世代の男たちを惹きつける。しかし、本人は子どもの頃からコンプレックスのかたまりで、今でも焦ると言葉がつかえる。しかも、恋や愛には関心がないらしい。恋愛はすでに彼女の〈人生の“損なわれた領域”に属している〉からだ。
 ある日、そんなアレックスが男に誘拐され、カミーユ・ヴェルーヴェン警部率いる警察官たちが捜査にのりだす。三部構成の第二部までは、章ごとにアレックスと警察側の視点に切りかわりながら進み、事件はあらぬ方向へと展開していく。
〈101ページ以降の展開は、誰にも話さないでください〉
 帯の裏側にある忠告にしたがってこれ以上ストーリーにはふれないが、この作品が重厚で良質なサスペンス映画に引けをとらないことは断言できる。何より、都合のいいどんでん返しに頼らず、短文を重ねる細かい描写で、登場するあらゆる人物たちの特徴を浮上させる点が素晴らしい。
 その確かな筆力と怖ろしいほどの構成力によってもっとも明らかになるのは無論、アレックスだ。彼女が抱えた秘密、あるいは人生そのものが読者を惹きつけ、迷わせ、驚嘆させる。カミーユたちもその衝撃に巻きこまれ、法律ぎりぎりの罪と罰の物語に加担する。
 後味は、だから苦い。この傑作は、法的な意味でなく、人としての正邪を読者に問う。真の正義とははたして何なのか?

週刊朝日 2015年2月27日号