キャンパスの象徴的な教会 Memorial Churchの周りは教室やオフィスで、雲を書き忘れた絵のような青空は「できるよ感」を漂わせる
キャンパスの象徴的な教会 Memorial Churchの周りは教室やオフィスで、雲を書き忘れた絵のような青空は「できるよ感」を漂わせる

 タイの王家が出している奨学金で来ている人や、シンガポールで兵役を済ませてから来たため、ちょっと年上のクラスメイトもいた。アメリカの軍からの奨学金で大学の学費と生活費を出してもらっていた生徒は、週末になると軍のトレーニングに参加するために大学を離れ、卒業後は数年間、軍への進路が決まっていた。

 ブータン王家のお姫様や、元オリンピック選手で医者を目指していた生徒もいた。お約束だが、天才級の頭脳の持ち主は、非常に切れ者の著者の友だちが1週間かけて解いた物理の問題を数分で解いてしまったが、親元を離れて寮生活になると驚くほど生活力がなかった。

 別のクラスメイトは、祖父がシリコンバレー創設メンバーの1人だったのに、反発した息子(私のクラスメイトの父親)がアイダホ州の山奥で彫刻家になって、山男のような環境で育ったが、結局祖父に影響されてスタンフォードに来た。私のルームメイトとなった彼は山でマウンテンバイクに乗ったりしていたアイダホの田舎の公立高校出身だったが、いざスタンフォードの工学部の授業を受けはじめたら、他の生徒が難しいと困りはてていた問題集を難なくこなし、週末はロッククライミングやキャンピングに出かけていった。アメリカの良いところは国立公園と大自然であり、都会や中流家庭の生活にまったく興味がないという優秀なタイプのアメリカ人だった。

 そしてもちろん、大学にはなぜいるのかがよくわからない人もいた。著者はそれまで自分が日米の文化圏の狭間で育ち、日本とアメリカを外からもなかからもわかるのでそれなりに視野が広いと自負していたが、本当に狭い世界で育っていたということを痛感した。

 こういうバックグラウンドの人たちに囲まれて行う議論は、まったく想像を超えた思考フレームの発見が幾度となくあり、なにが「当たり前」で、なにが「できない」ことなのか、それまでの思考の枠が一気に外れた。さらに、海外にいると、自分は日本を背負っているという自負がまったくなくても、日本出身であることがわかると、非常に優秀な人たちが日本について鋭い質問をしてくる。これは海外に出た日本人の多くが経験する現象だろう。しかも会話をはじめると、どんどん深いところまで追及してくる。

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なぜ日本は中国の漢字を使っているのにまったく異なる言語なのか…