たとえば、なぜ日本は中国の漢字を使っているのにまったく異なる言語なのか。なぜひらがなとカタカナという音だけの「アルファベット」が二つもあるのか。少し説明をはじめると、じゃあ「訓読み」というものは誰がつけたのか? 中国大陸のさまざまな文明の要素は韓国を経由して日本に伝わったと聞くが、なぜ韓国の伝統的な床下暖房、「オンドル」は歴史的に日本にはなかったのか。日本でもっとも人気が高いスポーツがなぜ野球なのか。そうなると、日本出身なのに日本のことを知らないというのはおもしろくない。国内のみにいては見えない日本の良いところも見えてくる。
著者は学部生のころ、日本について歴史、文学、言語学、政治、経済など、いろいろな分野の授業を片っ端から受けた。そのころ、経済関連の授業で取り上げられたり、大学にゲストを招いて行われた講演で取り上げられたりする日本は、「なぜ失敗したか」とか「こういうことをやってはいけないという模範例」という論調がほとんどだった。これは残念であり、悔しかったので、日本経済の明るい話を探すようになった。
また、学部3年目には日本語力を高めようと、「短期逆輸入留学」と自ら命名した取り組みで、スタンフォードが当時展開していた京都のスタンフォード・日本センターで一学期学んだ。故・今井賢一先生が日本のスタートアップなどについてプロジェクトを進めていたころであった。
シリコンバレーではインターネットの到来で新しいスタートアップのエコシステムが急発展していて、日本では1990年代を通してなかなか変化できない大企業や旧来の大勢の特効薬として「ベンチャー」が取り上げられていた。なかなか日本ではうまくいかない理由がたくさん挙げられていて、後の自分のテーマにつながった。そして外資系金融機関の東京支店での夏のインターンシップで新しい雇用のロジック(突然クビになる、数年ごとに職場を変えないと「できない」人に見られてしまう、など)を目の当たりにした。学士号のための卒業論文(任意)を経済学の分野から、故・青木昌彦教授のもとで書いた。