正解がない問題をどう解くか? そのために必要なのは、まずは自ら仮説を出して、他者の意見も聴きながら「自分が納得し、かつ関わる他者をも納得させられる解」を導く力だ。すなわち納得できる仮説だから、この仮説を「納得解」と呼ぶ。

「納得解」を導くためには知識、経験、技術のすべてを組み合わせなければいけないから、「編集」という言葉を使う。文科省がしきりに謳う「思考力・判断力・表現力」のことだと理解していただいて構わない。

■ジグソーパズル型学力からレゴ型学力へ

「情報処理力」はジグソーパズルに喩えられる。ジグソーパズルは、ミッキーマウスとミニーマウスの仲良しの絵だったり、お城の綺麗な写真だったりする。もともと最初に「正解」が存在して、それを200ピースや2000ピースなどにバラしてから元の絵に戻す。つまり正解主義のゲームなのだ。

 それに対して「情報編集力」を喩えたレゴは、パーツの種類は少ないものの、自分のイマジネーションを働かせることで、その組み合わせによって宇宙船でも家でも、文字通り街全体を作り上げることも可能だ。

 これからの教育は、情報処理型のジグソーパズル型学力ではなく、情報編集型のレゴ型学力にシフトしていかなければならないわけだ。

 ところで、あなたにお聞きしたい。情報処理力偏重の教育を続けていくと、どういう子が育つと思うだろうか? 大学入学共通テストも含め、四択問題を何百、何千と解き続けると、どんなクセがつくだろう?

「もしかしたら、私のような人間?」

 自分自身にもそうした呪縛がかかっている? そんな疑いを持ったならば健全だ。何しろ成長社会では、おしなべてそのような教育がなされてきたからだ。

 四択問題の選択肢は先生もしくは教材会社が与える仮説である。だから、どんな環境においても必ず人が仮説をくれると勘違いし、さらにその中に必ず「正解」が1つあると勘違いする人間が育つことになる。

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