哲学者 内田樹
哲学者 内田樹
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 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。

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 社会人対象で映画論の授業をしている。今期のテーマは「戦後日本が失ったもの」である。今井正の「青い山脈」を観て、「民主主義という呪符」がその霊力を失ったのはなぜかという話をした。

「青い山脈」は1949年の作品である。憲法施行からわずか2年後、文部省が『民主主義』と題する分厚い教科書を全国の中高生に配布した翌年の作品である。「民主主義」という言葉が陸離たる光芒を放っていた時代である。映画の中では、原節子も池部良も「民主主義」という単語をまるで壊れやすく、決して汚してはいけない透明度の高いガラス細工のように扱う。民主主義に敵対する人たち(街のボスや軍国主義を振り切れていない教師)でさえ、「それは民主主義的ではない」という断罪に怯えて、「民主主義」の前に叩頭する。民主主義の呪符としての力がそれほど強かった時代がかつてあったのである。

 今の日本は、一応はまだ民主主義政体の外観を保ってはいるけれど、権力者とその周辺にいる人物が公権力を私用に供し、公共財を私物化しているネポティズム政治の腐敗ぶりを見ると、もう「部分民主主義」に類別されてもおかしくない。そんな社会に「民主主義」という単語をまぶしいものでも見るように仰ぎ見るという感性が生き残っているはずもない。

 だがなぜ、あの時代には「民主主義」という語が例外的な呪力を発揮できたのか。それについての仮説を立てた。

 敗戦国民には誇るべきものが何もなかった。維新以来80年かけて先人が営々として築き上げてきた帝国の版図も、政治的威信も、文化資本もことごとく灰燼(かいじん)に帰した。世界五大国の一隅を占めていた帝国臣民は餓死に瀕していた。瓦礫(がれき)の中に無一物で取り残された敗戦国民の手に唯一残されたのが道義性において世界に冠絶する平和憲法と、先端的な日本の民主主義だった。

 誇るべきものがそれしかない時に人はすがりつく。その少し前に「畏れ多くも」と聴くと、踵(かかと)を打ち合わせて直立不動になったのと変わらない。あの時代の人たちは「畏れ多くも民主主義にあらせられては」と読み換えたのである。

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

AERA 2023年7月3日号