ピンク色の小人や、部屋の真ん中にいるドでかいクモ。突然こんなものが見えたら、誰でも自分の頭が変になったと思う。だがまったくの正気でも、人はしばしばあるはずのないものを見たり聞いたりするものらしい。これまで多くの症例を見てきた神経学者が、幻覚を通して脳の不思議をつづる医学エッセー。
幻覚の原因は病気や事故による脳の損傷、薬物などさまざま。過度の疲労でも起こり、トライアスロン選手がレース中に見た例もある。驚くのは、全盲の人が見ること。走り回る子供や舞い散る雪、その映像はリアルで鮮やかだ。
人を防音室に閉じ込め、全感覚を遮断しても幻覚が起こる。脳が正常に機能するには知覚の変化が必要だからで、「見る」とは目ではなくて脳が見ること、つまり脳が情報を組み立てて映像を作り出すことだとわかってくる。
宗教は幻覚を「神の啓示」と受けとることから始まるようだ。悪魔、鬼婆を信じない時代になれば、次は宇宙人や霊がとって代わり新しい物語を作る。人には恐ろしいもの、畏怖すべきものが必要なのだろうという著者の言葉がまことに興味深い。
※週刊朝日 2015年1月30日号