大宮エリーさんと山崎直子さん(撮影/大野洋介)
大宮エリーさんと山崎直子さん(撮影/大野洋介)
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 作家・画家の大宮エリーさんの連載「東大ふたり同窓会」。東大卒を隠して生きてきたという大宮さんが、同窓生と語り合い、東大ってなんぼのもんかと考えます。ゲストは前回に引き続き宇宙飛行士の山崎直子さんです。

*  *  *

大宮:ずっと学校の先生になりたかったのは、いい先生がいたとか?

山崎:小学校だと、理科を教えてくれた担任の先生。優しめの先生で、「私たちの体はね、星のかけらでできてるのよ」なんて、うれしそうに教えてくれてね。すてきだなーと。

大宮:窒素とか炭素ってこと?

山崎:そう。突き詰めていくとそうなんだ~って、子ども心にロマンを感じました。中学校では体育の先生。

大宮:体育は結構できたんですか。

山崎:体育、ダメだったんですよ。マラソン大会とかリレー大会とかで走るのは速かったんですけど、球技とかは全然。すごい苦手でしたね。

大宮:えー、意外。

山崎:中学生のときは、海外で働きたいなという思いもちょっとあったので、外交官とか通訳さんという夢もあったんです。でも、高校に行くと、帰国子女のお友達がいて、打ちのめされるわけです(笑)。ああ、すごい方たちがいるんだなと思って。

大宮:苦もなくペラペラとね。

山崎:そうそうそう。こっちは一生懸命、NHKラジオとか聞いて、「んー?」とか言ってるのに、「あ、これはかなわないな」と悟り、もともと好きだった宇宙の道を目指そうと。

大宮:宇宙飛行士に?

山崎:今だとキャリア教育もあるんでしょうけど、当時はよく分からなかったので、宇宙船を作れるエンジニアかなと思って、工学系に行きました。でも、チャンスがあったら、宇宙飛行士に応募したいなとは思っていました。

大宮:なんで東大に? 東大感がまるでなくて、なんか女子大感がある。

山崎:かもしれないです。高校はお茶高(お茶の水女子大学附属高校)だったんです。

大宮:だからか!

山崎:女子校、大好きでした。でも、宇宙を勉強する大学は限られていて。母親が心配性だったので、家から通えるところがいいかなあと。東大が一番近かったんです。東大は糸川英夫先生の時から、日本の宇宙開発を牽引してきているので。

大宮:ご両親は何を?

山崎:父が自衛官でした。

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