ここまではレストランで書きましたが、ここから先は自転車でアトリエに戻ってから、この続きを書くつもりですが、アトリエの帰路にふと、沢山の樹木に囲まれた公園に立ちよってそこのベンチでこの原稿の続きを書きたくなりました。今日は風もなく、初夏のような暑い日差しが差しているので着ていたジーンジャケットを脱ぐことにしました。すでに鮎川さんのご質問にはお答えしたように思うのですが、仕事がたまるのがストレスになるのでなるべくストレスをためないために、というか、目先の仕事は早いとこ片づけて、いつも空っぽ状態にしておきたいので、そうした体調管理のためにも(ちょっとアスリート的でしょう)頭も肉体も無の状態にしておくことで、実はこの間が充電期間になっているのかも知れませんが、そんな理屈はなるべく肉体から排除というか断捨離しておくのが健康ではないかと思います。
よく手帖を持ってスケジュールを書き込む人を見ますが、手帖など持っていると手帖のためにスケジュールを入れたくなって、その結果自分の人生をスケジュールだらけにしてしまうことで充足している人もいるかも知れませんが、こんな生き方をしていると短命に終わりそうです。
僕が仕事を早く片づけるのは、何もしない時間を沢山作りたいからかも知れません。また一日中スマホを見ている生活の人も時間を食いつぶすことに終始し、それを快楽と勘違いしているのではないでしょうか。
一見無駄な何もしない時間を食いつぶすとは負の行為に見えますが、逆に何もしない時間の圧力のようなものが、突然、創造の衝動となって、いても立ってもおれないほど創作意欲をかり立てる動機になることもあります。そのことを無意識が知っているために、何もしない時間を充電時間として、やがて起こる衝動を待っているのかも知れません。そう考えると無駄な時間こそ有効な時間ということになるのではないでしょうか。このような決断は頭が決めるのではなく、肉体が決めるのです。肉体は霊体ともつながっていますから知性より霊体というのが僕の思想(死想)であります。すでに鮎川さんの手元に先の〆切の原稿が2、3本入っているんじゃないかな? プレッシャーだと思わないで下さい。
横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰
※週刊朝日 2023年5月26日号